煙のような空理空論

人生にまつわる様々な疑問やストレスに対する自分勝手な考察。

Instagram投稿時にハッシュタグを用いて文章を構成する人々についての考察

 

Instagramについて知らない人はまずこのブログすら見る機会もないと予想されるので、それについての説明は割愛する。
 
しかし「認知しているが利用していない」という者も多数いると思われるので、ハッシュタグで文章を構成する行為についてくらいは一応説明しておく。
 

 

Instagramというのは主にスマートフォンでの利用を目的とされる、写真投稿に特化したSNSであるが(結局説明した)、写真と共に文章も合わせて投稿する事ができるサービスである。Instagram利用者の投稿を眺めていると、その文章内にハッシュタグ(単語の頭に#を添付して記載するとそのキーワードに関心のある利用者が辿って閲覧することが出来る機能)を用いて文章を構成している投稿を多く見かける。厳密に言えばこれは文章ですら無いが他に言いようが無いので、ここでは文章と呼ぶことにする。
 
言葉では説明し難いので下に例として画像を添付する。(これは私が自分のアカウントを利用し、該当する投稿を真似て作成したサンプルである)

f:id:cymons:20160602005856j:plain

これは多くのInstagram利用者にとっては異様な光景として既にお馴染みとなっているが、Instagramを知らない者にとっては更に異様で意味不明な光景であるかと思われる。狂気すら感じる。
 
ちなみに、画像の中から『#でも楽しい』というタグを辿ってみたところなんと42,418件の投稿が既にあった。実際にこのタグから投稿を検索した利用者は果たして私以外に存在するのか甚だ疑問である。
また、試験的に『#ヒロくんも私とならどこでもいいって』というタグから検索を行ったところ、
 

f:id:cymons:20160602010031j:plain

当然である。とても後悔している。
 
このように、日本では「#」記号の意味不明な大量消費が毎秒ごとに行なわれている。 
ただ、この行為には明確なルーツがあり、実のところ初めのうちは私も何度か似たような行為を行ったことがある。しかし現在では私のSNS利用時におけるストレスの根源の一つとなっており、閲覧する度に「いやもういいだろう、いつ迄やっているのだ、やめたまえ」と憤りを禁じえない。
 
SNSにおけるストレスはこれ以外にも多数あるが、この問題はその中でも
「え〜?本人が楽しんでるんだからほっとけばいいじゃん〜」と蔑ろにされやすい、“直接的な害は無いがただ目障り”という小蝿タイプのストレスである。
 
確かに放っておけば良い事例だか、実際放っておいたとしても目に入るだけで目障りなのだから解決にはならない。
 
そこで彼ら(主に彼女らだが)のその行為における心理的な側面を理解するべく、考察を試みた。
 
 

タグ文章のルーツ 

私のInstagramにおける最初の投稿は2011年7月19日であり、当時は日本人利用者は今よりも少なく、勿論タグで文章を構成する行為など存在しなかった(発想も無い)。その後有名人の利用も相俟って日本でも流行する事になるが、私が記憶している限り私がこの行為を初めて目にしたのは、2012年〜2013年初頭、比較的ユーモアセンスのある利用者が、ハッシュタグを用いて、本来の使用目的から考えれば何もメリットのない単語を記載して、写真に対する説明のような事を行っていた。
 
これは言わゆる「ボケ」であり、実際にその投稿に対するコメント欄には
「ちょwwwタグwwww」
といった他者からの愉快なツッコミが記載されてあった。
自ら誤った使用の仕方を意図的に示し、他者からの指摘を仰ぐというお笑いにおける古からの伝統芸能である。
 
これを面白いと思うかどうかは個々の判断によるが、私はユニークだと思い楽しんでいた。ボケとしての使用の他に、自分自身へのツッコミみとして使用するケースも見られた。
 
その後、この比較的ユーモアのある利用者が繰り広げる一連の行為を見て、その真似をする「第二世代」が現れ、Instagram内でこの行為は広く一般化する。
しかしご存知の通り同じボケを何度も消費すると次第に飽きる。実際に私の知る第一世代の利用者は一般化した時点で殆どその行為に飽き始めていた。
 
第二世代が飽きずにその行為を継続していた頃、更にその行為を見て真似をする「第三世代」が現れる。彼ら(主に彼女ら)の使用の仕方は、もはや「ボケ」ですらない。
もともとメリットのない単語にハッシュタグを付ける無意味な行為である「ボケ」から笑いの要素を差し引けば、ただの意味不明な行為である。ボケではなく本来の意味での「呆け」と言える。
 

第三世代の心理 

この第三世代と思わしき利用者は主に学生が多い。ちなみに私の界隈では30代前後の独身女性も多数存在する。 
 
ここからは私の完全な憶測に過ぎないが、彼女らはこの行為の最初のルーツをあまり理解していない。なんとなく周りが行っているからという動機で無意識に始めたが習慣となってしまい辞めるに辞めれられない、と言うより辞める理由が特にない、疑問にも思っていない、といった心理状態だと思われる。
 
実際にこの行為は、他者の誰にも迷惑が掛かっていない。が、実のところ一切楽しくもない。
ボケを差し引いたが故に笑いが生まれる訳でもない。する理由もなく辞める理由も無く、ただただ親指で無駄に#ボタンを押し続けるという独特な文化が形成されていく。これが、日本という国が「ガラパゴス」と揶揄される大きな所以である。
 
しかしながら、誰にも迷惑がかかっていないだけに面と向かって「やめたまえ」とリスクを顧みず発言する者は多くないだろう。何故いけないのかを明確に説明できないというのも理由に挙げられるかもしれない。
 
 

結論

 
特に害はないので放って置くことにする。
 
 
 

最後に

 
私のフォロワー内でこの行為を行っている友人達は、実際には限りなく良識ある人物がほとんどであり、性格も良く尊敬できる友人ばかりである。
だからこそ面と向かって「やめろ」という事はしないが、その反面、「それで良いのか」と心の中で心配になる事がしばしばある。
 
もしこれを読んでいる者が自分自身に「第三世代」としての心当たりがあるのであれば、この無駄な行為を続ける理由について改めて考えてもらいたい。
 
たとえそれが他人の迷惑になっていないとしても、無意味である事にも気付かず、理由すら考えようともせずに何の疑いも持たず行動する行為は、人生を生きる上で大変危険である。
 
理由を考えた末に、明確な理由があったなら自信を持って続ければ良い。