煙のような空理空論

人生にまつわる様々な疑問やストレスに対する自分勝手な考察。

ストレスが多すぎる

 

世の中には、イライラする事が多すぎる。ああ多すぎる。

 

SNSはカオス。テレビも映画もつまらないし、満員電車や対人関係、心の安らぎであるべき〝音楽〟ですら例外ではなくなってしまった。

しかも周りのほとんどの人間が、それに対して何の疑問も持たずに消費し続けていることが最大のストレス

 

である。

 

 「お前は心が病んでる」と言われればそれは否定しないが、私の心が病んでいようがいまいが、実際に世の中のそれが問題であることには変わりがない。

 

まぁとはいえ、四六時中なにかと文句をつけても、毎日それを聞かされ続ける友人や家族にしてみれば、たとえ仮にそれが正論であったとしてもそれ自体がストレスの要因である。

 

 

私は単に世の中をもっと良く(マシに)するために何をすべきか、至って健全な動機のもと考えを巡らせている訳だが、イライラが伴っては周りにとっても自分にとっても不健康である。

さらに私のイライラに対する嫌悪感によって私の意見の内容までも抱き合わせで拒絶され兼ねない。それは嫌だ。

 

 

ここで選択肢が2つ。

  • 「世の中のあらゆる問題など自分にはほとんど関係ない事だ」と割り切って、考える事をやめる。
  • 徹底的に考え、問題を解決に導く。

前者は、まさに〝何の疑問も持たずに消費し続ける人間〟そのものである。その振る舞いは一見、平穏で幸せそうに見えるが、いわゆる思考停止状態であり、できることならなりたくない。(本人は何も考えていない訳だから、幸せといえば幸せかもしれない)

 

となれば後者を選ぶしか方法はないのだが、世の中の様々なストレスの要因をひとつひとつ解決に導くのは不可能である。しかし、〝解決〟には至らずとも、その問題がなぜ、誰によって、どのようなプロセスで起こっているのかを理解することで、イライラを少なくする事ができるのではないかと考えた。

 

〝考えないことによる平穏〟ではなく、〝考え尽くすことによる平穏〟である。

 

このブログは、世の中のあらゆるストレスと戦う過程でこれまで私が考察してきた事柄や、これから起こりうる問題への自分勝手な意見と結論をメモとして残そうと思い立ち、立ち上げたブログである。

 

ストレスだけではなく、日常の素朴な疑問やオカルト的な謎についても考察し取り扱うバラエティに富んだ楽しい内容にしていきたいと希望している。

 

 

記事は明日から書く。(多分)